未来のお金〜美しいお金の物語〜from 松田まり

おはようございます。
松田まりです。
今日は突然ですが
ノスタルジーのお話から。
(わたくし事で恐縮です)
20年前、当時、28歳。
公認会計士2次試験にpassしました。
金融庁の前に張り出された掲示板に、
自分の受験番号を見つけ、
死ぬほど勉強した日々を想い、
声も出ず泣きそうになる私の前に、
感涙しながら立ちすくむ父の姿がありました。
わたしに内緒で合格発表を見に来ていた父。
にもかかわらず、
しっかりと私に見つかってしまうあたり、
なんとも
似たもの親子だなぁと思ったのを覚えています。
私の会計士としての仕事の原点は
いつも
ここにあります。
20年この仕事を続ける中
ともすれば
初心を忘れて、何かのうえに
胡座をかこうとする自分の存在に気づき
その度に、
この合格発表の掲示板と
そこに佇む父の存在の光景を思い出し、
自分を律し、
自分の美学を追求し続けた
この20年間だったように思います。
父は、厳しい人でした。
私が不合格の年は、
一言の労いの言葉もなく、
「結果を出しなさい」と
それだけの言葉を渡された私は
自分の不甲斐なさと
父の無礼にやるせなく、
憤っていただけに、
掲示板の前に佇む父の姿、
父の背中を今でも忘れず
合格のシンボルのように
私の心に、今でも色濃く刻まれています。
そうして20年の時が経ち、現在48歳。
先日、ドキドキしながら、
合格発表を待つ、
という経験をしました。
大学院の合格発表。
この歳にして、
でも、どうしても学びたい、
の気持ちが優先し、
かねてから
至極に興味をいだいていた
MFAを手にするべく、
藝術大学院にて2年間学びを深めることとなりました。
50歳でのMFA取得を目指し、
4月から新しく学生生活が始まります。
今回の合格発表は掲示板などなく、
無機質にWEBサイトでの発表でしたが、
それでも、その時の気持ちは
空高く舞い、
私の脳裏に焼きついています。
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◆◇躍動するお金◇◆
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合格通知が届いてから
すぐに学費の送金手続きをしました。
まぁ、それなりの
大きな額の送金ではありましたが
送金した後の爽快感ったらありません。
私は普段から
お金の大きな動きにあまり
感情を動かされはしないのですが、
久々に大きなお金の送金をして
「嬉しい!」とニヤニヤしながら
銀行を後にしました。
ここには
お金の動きに、
未来を手にする喜の感情が伴っている。
未来への大きな期待が
お金の動きと相まって、
より躍動した感情が
私のもとにやってきた、
というわけです。
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◆◇人に任せる未来◇◆
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ここで、ひとつ私の後ろ髪を引くこと。
それは、
「未来を人任せにしてはならない」ということ。
お金を払ったときに
未来の期待の感情が大きく伴う時は
ちょっとの注意が必要です。
それは、
お金をはらったんだから、
こんな未来を私に準備してくれるよね?
という
トンチンカンな思考と感情に
支配されてはならない、
ということ。
「いやいやそんなトンチンカンなこと、
思わないですよ」
と思いきや
意外と多くの方が
潜在的にこの思考に支配されていたりする。
そのことが、
本来、手にするはずだった未来を
遠くへ逃がし、
自分で逃したにも関わらず
手に入らなかったことを他人のせいにする
といった現象が多く起こっているのが現実です。
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◆◇この世は
贈与でできている◇◆
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未来はどうにでも
デザインし直せる。
人任せにさえしなければ
面白いくらいに、
未来のカードはすべて
自分の手の中にあったりする。
こんなことを思考していた
ちょうど昨日、
建築家の友人より
こんなメッセージをいただきました。
彼がこのクダリを読んだとき、
ふと、私の顔が浮かび、
これは松田に伝えなくては、と
夜中にも関わらず
タイピングして
私に送ってきてくれた
ある本の一説です。
〜〜〜〜〜〜〜
・モノは、誰かから贈られた瞬間に、この世界にたった一つしかない特別な存在へと変貌します。贈与とは、モノを「モノではないもの」へと変貌させる創造的行為に他ならないのです。だから僕らは、他者から贈与されることでしか、本当に大切なものを手にすることができないのです。
・信頼は贈与の中からしか生じないということです。だとすると、交換的な人間関係しか構築してこなかった人は、そのあとどうなるのか?周囲に贈与的な人がおらず、また自分自身が贈与主体でない場合、僕らは簡単に孤立してしまいます。
・僕らが困窮し、思わず誰かに助けを求めるとき、交換するものを持ち合わせていないからこそ「助けて」と声にするのではないでしょうか。…交換の論理を採用している社会、つまり贈与を失った社会では、誰かに向かって「助けて」と乞うことが原則的にできなくなる。
・贈与者は名乗ってはなりません。名乗ってしまったら、お返しがきてしまいます。贈与はそれが贈与だと知られない場合に限り、正しく贈与となります。しかし、ずっと気づかれることのない贈与は、そもそも贈与として存在しません。だから、贈与はいつかどこかで「気づいてもらう」必要があります。あれは贈与だったと過去時制によって把握される贈与こそ、贈与の名にふさわしい。だから、僕らは受取人としての想像力を発揮するしかない。
・手に入れた知識や知見そのものが贈与であることに気づき、そしてその知見から世界を眺めたとき、いかに世界が贈与に満ちているかを悟った人を、教養ある人と呼ぶのです。
ー 近内悠太「世界は贈与でできている」より
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◆◇こっそりと贈与する◇◆
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誰かを助けることが
自分を助けることにつながる。
目の前の自分の利益ばかりを追求する人は
目の前の小さな水溜りの水を
大勢の取り合っているのかもしれません。
もう少し大洋に目を向けると
そこには
はるか彼方に向けて
潤沢な源がある。
まずは海に出る。
大洋に水を循環させる存在になる。
実は、この近内悠太さんの著書は
私はすでに読んだことがあり、
友人が送ってきたクダリも
私の記憶にとどまっていたものでした。
ですが、真意は
そこではなく、
彼の手を介して、
この著書のクダリが私に届けられた
ということがとても大切であり、
このこと自体が、
「贈与」であり創造性を生むものであり。
ここにすべての源泉があるのだなぁと
そんなことにしみじみと
人生の面白さを感じた出来事でした。
私たちの日常は、
贈与でできている。
そんなことに意識を向けてみて
変わっていく現実と
人任せにしない未来を
ちょっと楽しんでみるのも一興です。
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【お金さんと呼ぼうポリシー】
私は普段からお金を
「お金さん」と呼んでいます。
こう呼びかけることで、
まるで友達のように親近感を感じる。
「大事にしよう」という気持ちになる。
自分のもとに来てくれたお金さん。
そして自分の元から
旅立っていったお金さん。
不思議と、
どちらも大切な友達の行動として
「見守りたい」という感情が生まれる。
あなたも
「お金さん」と呼ぶ習慣
身につけてみませんか?

松田まり 公認会計士/税理士×女性起業コンサルタント
「美しいお金と美しく向き合う」をコンセプトに女性の起業スタートアッププログラムを提唱し、数々の女性起業家の独立開業・売上拡大を応援している。500名近くの相談実績を持つ。著作に『セラピスト・ヒーラーのための「お金の強化書」』
◎個人ブログ 「自分を大事にするためのやさしいマネーレッスン」
◎女性の起業スタートアッププログラム無料メルマガ
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